何がそんなに怖かったのか
30代の頃、自分が死ぬことを考えると恐ろしかった。
自分だけが死んで、まわりは皆生きていることが、信じがたく恐ろしかった。
死にたくない、と思った。
40代の頃、親兄弟が死ぬことが恐ろしかった。
皆死んで、自分だけ残されたらどうしよう、と思うと怖かった。
毎夜毎夜、どうか明日も家族が無事に過ごせますように、と真剣に祈った。
60になって、去年父が死に、今年は兄が死の淵にいる。
だけど、もう怖くない。
人は皆、いつか死ぬものなんだから。
死と生は隣りあわせ。
生だって、もともとは無から始まったもの。
その無に帰るのが死かもしれない。
メルシー
加藤登紀子さんのFM、ジュリエット・グレコ特集を聴きながら書いている。
で、メルシーになってしまった。
加藤さんと言えば、百万本のバラ。
いい歌だなぁ。。
ニュースを見ずに音楽を聴く。
お笑い番組を見る。
録画したサッカー番組を見る。
現実は厳しいけど、
明日のことは誰にもわからない。
今を生きよう。
夢で逢えるよね
父が、死んでしまった。
とうとう死んじゃった。
いつか死ぬんだけど、
まさかホントに死ぬなんて。
あ~あ、とうとう死んじゃった。
そんな、感じ。
ほんとに死んじゃった。
死んじゃったね。
お父さん。
あんまり、ぴんと来ないね。
二日と半日、鯉みたいにぱっくんぱっくん息してたね。
あご、疲れたでしょ。
でも、三日目の朝、さすがにぱっくんの間隔が長くなって、
そして、ぱっくんが途絶えた。
あれ?、息は?
しないの、ほら?息、
してよ、も一回、
してよ。
お父さん。
さよなら、だね。
全然、ぴんと来ないけど。
結局、何も話さないままだったけど。
お父さん。
ふた月目の命日、
やっと夢で逢えた。
でも言った言葉は、
松の木の下の草を刈る道具がどっかにあっただろ?
だった。
猫と一緒に泥だらけになって、
庭で草むしりしてるいつもの姿、だった。
やだなー、まだそんなことしてるんだー。
は~い、草刈りガマの小さいやつね!
探しとくよ。
だからまた、
逢いに来てね。
夢でいいから、
逢いに来てよね。
お父さん。
歩けない
父が歩けなくなった。
93才、無理もない。
ベッドに腰掛けて、介護レンタルしたテーブルで朝食を済ませたあとで、
むくんで言うことを聞かなくなった足をさすりながら、ウンウン唸りながら、なんとか動かないか試している。
そして、独りごちている。
・・やっぱり無理かなぁ・・・。
切ない。
つい半年前まで、自転車に乗り、畑を耕し、日焼けしながら毎日外出していたのに。
ある日、足が腫れて動かなくなる。
入院5ヶ月が終わって施設に移ってからは、リハビリがなくなって更に足の筋肉は落ち、そして歩けなくなった。
本人が一番辛いだろう。
でも、まわりもそれなりに辛い。
インドアで楽しみのない父は、本も新聞もテレビもそのほかの何もかも、いらないと言う。食事とトイレ以外は寝ている。
ボケるんじゃないかと思ったが、これがボケない。
頭はしっかりしている。
なのに、ただ寝ている。
歩けなくなったことがないので、
気持ちがわからない。
これからどんな風に楽しみを見つけてあげられるのか。
それが、わからない。
プレゼント
プレゼントをもらうのが好きじゃない、
ということに最近気が付いた。
長い間、親しい友人と互いの誕生日には贈り物をしていた。
けれど、ここ十年、それが苦になってきた。
あげるのは全然苦ではないのだが、
もらうのが苦なのだ。
もらっても嬉しくない。
けれど、嬉しいとメールはする。
いったい何故嬉しくないのだろう?と、
自分でも不思議で考えてみた。
たぶん、欲しいものがないのだ。
いらないものをもらうからだ。
でも、プレゼントをもらった以上、お礼は言わなくては。
嬉しくないのに嬉しい振りをする。
それが苦なのだ。
親しい友人には、やっとそのことを告げることができた。
もう来年から苦しい思いをしなくてもいい。